バイオレンス
No Comments 『ある戦慄』〜人間は恐ろしくて哀しい動物〜
The Incident
ラリー・ピアース監督作品(1967/米)
いまもっとも信頼のおける映画評論家・町山智浩氏のトラウマ映画の1本。さすがです。深夜の地下鉄で同じ車両に偶然乗り合わせることになった乗客たち。そこにチンピラ二人組がやってくることで車内が言葉による暴力の修羅場と化していく。この映画がたまらなく不快なのは、自分自身もおそらく、心の中で「誰かが何とかしてくれる」という思いで傍観者を決め込む人間の一人であるということに、否応なく向き合わされてしまうから。「おいおい、黙ってないで何とかしろよ。そこでこいつの金玉蹴り上げて、脱出しろよ」と思うのは簡単だけど、たぶん自分だって何もしない。「ダメだな、こいつは」と見下げ果てずにいられない乗客たちが、そのまま自分の裏返しなんだと思わされる不快感は尋常じゃない。暴力って、きっとこういう不条理なもの。ここまで絶望的なシチュエーションは経験したことがなくても、見ないフリしておこうと決め込むシーンに出くわすことが無いわけではないし、このところ何度か中国で人々の無関心に対する批判があったけど、どこでも一緒だって。だからスーパーヒーローという幻想が存在するのだし、でも現実には、事をおさめる代償に腹を刺されてしまう青年のようになるのがオチなのだ。そして、誰かのために身を投げ打っても誰にも感謝すらされないという途方もない無常感に苛まれるしかない。この結末には、心底戦慄させられる。
レンタルDVD。町山氏の『トラウマ映画館』所収の映画は3本しか見ていなくてこれで4本目。なかなか見るのが難しいラインナップだけど追っかけて見ていきたいなあ。
描写は過激だし、悪ノリのすぎたクレイジーな映画ではあるけれど、ベースにあるのは案外オーソドックスな復讐劇だというところが、この映画の面白さだし人気の秘密なのだろうな。わかりやすく西部劇モチーフをとりいれたりもするしね。そして何よりアクションのクオリティと、映像のセンスが抜群。明らかに一部のイスラム狂信者を揶揄した公開処刑のシーンだったり「悪趣味にもほどがあるよ!」と思う部分は無きにしもあらずだけど、父の命を受けたヒットガール(クロエ・グレース・モレッツ!)が次々と敵の男たちを血祭りにあげていくシーンは、極端な描写が完全にコミックだからこそ、まあ素直に楽しんでしまった。子どもにはちょっと見せられない大人のおもちゃ的な映画として、ライブラリーにしまっておく映画としてこれはアリだよね。そしてキック・アスくんがさんざんな目に遭いながら、最終的にちょっと凛々しい顔立ちになるのにはちょっぴり感動。おたく気質のへなちょこ人間に対して、いくつになっても残念ながら共感してしまう自分にも泣けてくる。
再見。見ている間もそうだけど、見終わってからのほうがもっとくる映画。かつてはプロレス界のスターだったランディ(ミッキー・ローク)。20年以上におよぶレスラー生活で肉体は酷使されきって、試合が終わればいつも満身創痍。薬物を頼りに何とか現役を続けているけれど、自分でも限界がきていることはわかっている。わかっているけれどやめられない。そんなランディの心身の痛みや、プロレスの内幕を執拗にカメラは撮していく。(傷の痛みをここまで本当に痛そうに見せる映画はあまりない)。ランディが心を許しているストリッパーのキャシディ(マリサ・トメイ)も同じように体を張って生きている人間。彼女もまた自分の年齢に限界を感じている似たもの同士。そんな2人の心はどこかで通じ合っているのだけどキャシディは決して一線を踏み越えようとしない。ランディが自分の失態で娘との関係を決定的にこじらせてしまい、誰かからの愛を本当に必要としているときでさえも。心臓に病を抱えているランディは、次リングにたてば命を落とすかもしれない。そんな体だけれど、自分が求められる場所へ、生きていると実感できる場所へ足を踏み入れていく。たとえそれが愚かで、バカげた決断だったとしても。そんな風にしか生きられないランディの姿がミッキー・ローク自身の姿にも重なって、どうしようもなく心に響くし、ずっしりと重いものを持たされた気持ちになる。この映画は自分にとってちょっと特別。
成績優秀すぎて同僚からやっかまれ、ロンドン勤務から一転、田舎の村に転勤させられたニコラス・エンジェル(サイモン・ペグ)。新しい勤務地となったサンドフォードはビレッジ・オブ・ザ・イヤーにも選出されるような平和でのんびりした村、のはずだったのだが…。電車やバスをさんざん乗り継いで、ようやく村にたどりついてパブに入ると、そこは未成年の巣窟。かと思えば、酔いつぶれて平気で運転して帰る奴がいたり。どうやらここは犯罪率が低いのではなく、村ぐるみで犯罪に寛容なだけということが見えてくるのだけど、熱血漢で堅物のニコラスは警察内で孤立してしまう。でも、そんな都会からきたデキる刑事のニコラスに憧れて、勝手に相棒になる映画おたくのダニー(ニック・フロスト)が最高におかしくて、彼を通してニコラス自身も真面目一本槍の刑事から清濁併せのむ一皮向けた刑事へと脱却していく様に興奮させられる。刑事にはなんてったって相棒が必要なのだよね。後はもう最後までご機嫌なポリスアクション。あまりにもぞんざいに人を殺しすぎるし、映画として楽しまなければ相当にムチャクチャだけど、これはもうそういう映画だと思って楽しんだもの勝ち。そして『ハートブルー』が見たくなる。
前作から期間を空けずにこれを見ると、基本的な構造が一本目とほとんど一緒なのがよくわかる。で、やっぱり面白いんだなあ。映画がはじまった瞬間にほとんどのシーンがフラッシュバックしてきて、まるで脳内で映画を再生しているかのような気にさせられるのだけど、面白いものは面白いのだ。公開されたのはちょうど20歳前後の頃で、確か当時11PMで今野雄二氏がスゴク嬉しそうにT1000のリキッド金属が変形するCGの凄さを語っていたように思うのだけど、期待値がMAXの状態でワクワクしながら見に行ってその期待が存分に満たされたことを思い出す。青春の映画の一本。そしてT1000のロバート・パトリックが無表情で追っかけてくるシーンは今もちょっとばかしトラウマ。
監督・脚本・撮影・編集、ぜんぶ俺!のザ・ロドリゲスな映画。街を渡り歩いて仕事を探してる流しの歌手が、街を仕切ってるギャングの敵に間違われてしまい、逃げ惑ったり、応戦したり、バーの女に恋をしたり…。ああ、もう最高に楽しいです。映画の面白さを左右するのって予算じゃないんだよなというのがよくわかる。お金がないけど映画つくりたいという人はこの映画を徹底的に研究すればよいと思う。たとえば、派手な特撮じゃなくてもスローモーションと早回しを上手に活用すれば劇画的な効果やギャグ(宿のおやじの早すぎる電話は最高!)は生み出せるんだということだったり、キャラクターを思い切りデフォルメすれば有名な役者じゃなくても存在感が出せるんだということだったり、ありえなさそうな偶然をいかにもありそうなことに見せるのが映画の編集というものなんだということだったり、とりあえず主人公には恋をさせろということだったり、そして一度ボロボロに傷つけてから復讐のためにもう一度立ち上がらせろということだったり。何度も何度も見たことがあるような設定や展開であっても構わないのだ。映画を愛して、作り手がやれるだけのことをめいっぱいやりきってる映画は、たまらなく魅力的な作品となるのだということを教えてくれる愛すべき映画がこれなのだ。
ショッピングモールの警備員をしているハリー(ジョン・タトゥーロ)は、同じモールで起きた殺人事件で被害者となった妻を殺した犯人を探すため、監視カメラに残された過去の映像を延々と見続けては手がかりとなる情報を自室の壁に貼り付けたり、使える時間のすべてを犯人探しに費やす日々。何としても殺人犯を見つけ出してみせるという執念は、次第に、見つけ出せねばならないという強迫観念となり、エスカレートしていく犯人探しの行為はハリーにとってのひとつの結末を導いていく…。窓枠とカーテンを引いた向こうに見える景色だけで、その後に起きる何かを予感させる見事なファーストショット。そして言葉少なく映像で語られるシークエンスからジョン・タトゥーロが何かに神経を蝕まれていく様が静かに伝染してきて、不安にさせられる。そして映画の中盤くらいからだんだんと、現実と妄想の境目がわからなっていく悪夢に自分も放り込まれたような気分になる。ブライアン・イーノの浮遊感と不安感をかき立てる音楽とも相俟って、見終わったときに自分自身も夢から醒めたような気持ちになる。『ドライヴ』のエンディングでも感じたこの放り出され感は不思議とクセになる。わかりやすく解決しない世界の在り方はリンチっぽくもコーエン兄弟っぽくもあるけど、これがニコラス・レフンらしさなのかもしれないと思うのは、強烈に印象に残すここぞという圧倒的一瞬を設定していることかもしれない。確かめるためにもっと見てみなければ。
誰が味方で誰が敵なのか、どんな目的があって何を欺いているのか、スパイ映画として考えたらそうした基本的な筋立てがわからないことは大きな欠点になるはずなんだけど、わからないということが苦痛になるどころか、どんどん快楽になっていく不思議。最終的にはなんとなく物事が解決したような、いや、この終着点こそがはじまりだったかのような結末を迎えて、やはりもう一度最初から見直さなければいけない気持ちになる。トーマス・アルフレッドソンの抑えに抑えながら時おり心臓をチクリと刺してくる切れ味のいい演出と、素晴らしい映像美、役者を見る喜びを心の底から堪能させてくれる見事な演技のアンサンブル。こういう映画に出会えると、本当に幸せ。
よく練り込まれた脚本があって、魅力的なキャストの力を丁寧に引き出せば、それだけで最高にチャーミングな映画ができあがるというお手本のような映画。安定した家庭とサラリーマン生活で自分を磨く努力をしなくなってしまった中年男性(身につまされるなあ…)、バーで夜な夜な女を漁ってるけど幸福感が得られないプレイボーイ、つまらなくなってしまった亭主に離婚を切り出す浮気妻、年の差以上に離れた男に恋をしてしまう少女、とその子に一途な恋をする13歳の少年、レールに乗った堅実な人生を送ってきたけど本当は奔放な娘、とかとか。無関係に見えてたエピソードが一点に収斂して、カオスになる後半の展開は最高におかしくて、可愛らしい。いくつになっても恋する人間は理性をなくした子供のようになってしまうという普遍的な人間の真理と行動を描いた、すっごく大人な映画。キャストはスティーヴ・カレルもライアン・ゴズリングも子守役のアナリー・ティプトンもすごくよいのだけど、大人の火遊びを求めてバーに繰り出してる中年女教師のマリサ・トメイがツボだった。あと音楽のセンスと鳴るタイミングが完璧。
何でもCGで再現してしまう今どきの映画と違って、アナログ的な工夫でどう迫力を出すか、いかに観客を楽しませるかを追求してるアクションが最高。後半のストップモーションも味があって大好き。最小限の状況設定だけで、未来からやってきた1人と1体とサラの物語をリアリティあるものとして成立させてしまう演出は何度見ても素晴らしいと思う。3者それぞれが違う思惑で電話帳を見るシーンの重ね方だったり、サラの居場所の自然なばれかただったり、シナリオがシンプルでムダがなくて抜群にテンポがいい。そしてキャメロンは昔から「愛する者を守るために戦って、そして力尽きて死んで、その愛が永遠になる」という話が本当に好きだよなということを再確認して何だかニンマリしてしまう。あとキャメロンの女の好みは何だか一貫してるよねえ。
やっぱり作り手の映画愛が感じられる作品は見ていて楽しいなあ。映画オタクらしく細部にこだわるインディーズ魂と、主役のマイケル・J・フォックスだったり、ここぞという場面でのよくできたCG のメジャー感が、いいバランスでかみあった独特の空気感が魅力。事故をきっかけに霊が見えるようになり、その能力を活かして幽霊フレンドと組んで除霊業をしているバクスター(マイケル・J・フォックス)のお話。幽霊たちの体がちょっと腐りかけてたり、体液や肉片を飛び散らせたりするんだけど、半透明(ちょっとチープな合成がたまらない!)だから、グロさが緩和されてるのが絶妙な演出。だいぶ抑えられてはいるけど、ある種『ブレインデッド』にも通じる表現の過剰さが笑いにつながって、とにかく楽しい。対人恐怖症で狂ったFBI捜査官(ジェフリー・コムズ)も期待どおりのやりすぎ演技。バクスターが女医のリンスキー(トリニ・アルバラード)に恋をして(たぶん彼女の旦那の葬式のときに)、彼女を死神から守るために、冷凍されて仮死状態になるという命がけの行為で自分も霊となって闘う展開は、いかにも映画オタクの喜ぶシチュエーション。そして二人が同じ危機を乗り越えていくことで愛が深まっていくというわかりやすさも最高。全体のダークなムードと、ぐいぐい進むテンポのよさにはピーター・ジャクソンらしさが溢れてて、この映画もやっぱり愛すべき映画だよねえ。